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この本は、生命を扱う科学に関わる「生命倫理」について書かれています。「生命倫理」とは、簡単に言うと「人間はどこまでいのちを自由に扱っていいのか」という問いかけです。
科学技術の発達とともに、人は不治の病を克服し、寿命を延ばし、昔は助からなかった命を救うことができるようになりました。たとえば、もし心臓に重大な欠陥があっても、誰かの心臓を移植すれば生きていかれる可能性がでてきたのです。
でも、心臓を移植するということは、誰かの心臓をもらう、つまり、誰かの死を待つということです。それも、心臓が止まって時間が経ってしまったものよりは、なるべく“新鮮”なほうがいい。そこで新しい「死」の概念が必要になります。それが「脳死」です。心臓は動いているけれど、脳の機能は止まっている。でも、それが果たして本当の「死」なのかどうか。死に向かっている人より、生きる望みのある人の生命が必ず優先されるべきなのか。移植を急ぐあまり、脳死の判定が甘くなりはしないか。
どのいのちを優先するのか、どこまで生と死に関わっていいのか、それを考えるのが「生命倫理」なのです。
現代の生命科学は、今まで人間の手が触れることのかなわなかった事柄にまで、どんどん進出しています。
「え? そんなことをしても、本当にいいの?」
そんな問いすら追いつかないほど、技術の方が先に進んでしまっているのです。
赤ちゃんが欲しいけれど、自分たちの卵子や精子で子どもを作ることができない夫婦が、他の人から卵子や精子をもらって子どもを作ったら、その子の“親”は誰なのか。クローン人間を造るということは、人を道具のように扱うことにつながるのではないか。一人ひとりの遺伝子の情報が、人の優劣を決める根拠になりはしないだろうか。記憶力を高める薬ができて、高いお金を払いさえすれば手に入るとしたら、お金持ちの家の子どもだけがそれを使って試験を受けられる……?
いくら考えても答えが見えないような、そんな問いかけが、この本にはぎっしり詰まっています。
いのちの可能性を広げる表の顔と、不公平さと犠牲を伴う裏の顔。数々の冒険に挑む生命科学の二つの側面を、著者の青野さんがわかりやすく紹介してくれています。各章の冒頭には、その章の内容を扱ったマンガの一シーンが載っていますので、そちらもあわせて読むと、問題をいっそう深く理解することができるかもしれません。
文 竹内 薫
科学評論、エッセイ、書評、講演などを精力的にこなす「猫好き科学作家」(サイエンスライター)。テレビ、ラジオでキャスター、ナビゲーターなども務める。科学の真面目な解説書から、それを小説風に料理したSFタッチのショートショート、SFか現実かわからない不可思議なミステリーなど、その著書は多岐にわたる。