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この本は、数学でつまずいてしまった中高生に向けてというよりは、数学でつまずいてしまった中高生を持つ親、もしくは、かつて数学でつまずいて以来、数学と聞くと胸(むね)が痛(いた)む大人に向けての本なのですが、これから「数学」という大海原(おおうなばら)へ漕(こ)ぎだそうとしている中学一年生や、すでに遭難(そうなん)しかかっている中高生にも、もってこいの本です。
しかも、ただの参考書や勉強法の伝授本とは全く違います。著者(ちょしゃ)が言うには、これは『「数学を役立てられなくたっていいじゃん」ということを説いた本』だそうです。ほとんどの人は、数学を“試験があるから”“受験科目にあるから”という理由でしか勉強しないでしょう。だから、何だか納得できないと思うところがあっても、納得するまで考えたり教わったりすることはしないで、公式などの丸暗記をして済(す)ませてしまう。そして試験や受験が終わったら、そのほとんどを忘れてしまいます。“あんなこと、いったいなんのために一所懸命(いっしょけんめい)勉強したんだろう? なんの役にも立たないのに”って思いながら。
でも勉強って、本当は“役に立つから”やるわけじゃないはずです。紀元前の昔から現代まで、さまざまな数学を編み出した人々は、“知りたいから”やっているはずなのです、たぶん。この世界がどんな法則で成り立っているのか、どんなルールがあるのかを知りたい。それが数学の最初だし、そういう気持ちは誰(だれ)もが持っている。違(ちが)うのは、物事からそれをどう受け取るか。
そのことを小島さんは『自然や社会の特定の事物たちには、「数理的に表現できる」という性質が備わっているのではあるまいか。そして数学的認識とは、このような「数理的に表現できる」という環境(かんきょう)の持つ性質を受け取る感覚器官だと考えることはできないだろうか』と言っています。ニオイを感じるためには、ニオイを出すモノがあり、それを受け取る感覚器官である鼻で感じ取ります。ニオイの感じ方には個人差がありますよね。それと数学の能力も同じことで、“数学”を受け取る器官には個人差があり多種多様で当たり前。だからこそ、いろいろな学びかたが必要だし、理解のしかたにも差が出てくるのは当然なのです。
図形の話から無限まで、本の中は五つに分かれています。まだ習っていないものも含まれていることでしょうし、すでにつまずいちゃったものも載(の)っているかもしれない。これから習う数学がどんなものかを知るのもよし、自分がどうしてつまずいてしまったのかを知るのもよし。“わからなかったことがわかることの楽しさ”を知ってみてください。
文 竹内 薫
科学評論、エッセイ、書評、講演などを精力的にこなす「猫好き科学作家」(サイエンスライター)。テレビ、ラジオでキャスター、ナビゲーターなども務める。科学の真面目な解説書から、それを小説風に料理したSFタッチのショートショート、SFか現実かわからない不可思議なミステリーなど、その著書は多岐にわたる。