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ナビコラム

過ぎ去った時間は戻らないけれど

2009年11月18日    土佐幸子(ライト州立大学助教授)


写真トップ:秋学期の最終日。学生の行き交うライト州立大学キャンパス

米国オハイオ州で物理教育の仕事 に携わる土佐幸子さんに、米国の科学事情や、子どもたちと科学教育をめぐる楽しいお話をつづっていただきます。

をすっかり落とした木々が目 立つようになりました。4学期制を採用するライト州立大学では、秋学期の講義が終わり、学生は期末試験に向けて忙しくしています。

ライト州立大学の2007年の統計を見ると、学部学生の平均年齢は25歳。25歳以上の学部学生が、全体の17%を占めるとあります。私の教えた天文学のクラスにも、明らかに年齢の高い学生が何人も見受けられました。彼らは決まって講義室の最前列に席をとり、熱 心に講義に参加しました。日本で社会人学生というと、働きながら夜間の大学院や学部に通う学生を指すことが多いようですが、アメリカには一度社会に出て働いた後、学士の資格を得るために昼間の大学に通う学生がたくさんいます。彼らはいったいどういう経緯で大学に来ることを決意し、どのような考えで学生生活を送っているのでしょう。二人に話を聞かせてもらいました。


写真2:社会人学生アレックス

アレックス(仮名)は短期大学を卒業後、空軍基地に17年間勤務しました。リュウマチを患って基地の勤務をやめることになったとき、大学に戻って軍から学費と生活費を支給してもらうという選択肢をとったそうです。物理工学で学士号を取りたいと希望するアレックスですが、数学がネックになっているので、この学期終了後の休みにはソフトウェアでも買って自分で勉強しなければならない、と言っています。高校時代に、自分はやればできるから、とあまり勉強せずにひどい成績を取ってきた付けが回っているそうです。アレックスは、今、学問に対して意欲を燃やしています。天文学の講義でも、私が投げかける「なぜ」の問いに吸い付くように反応 し、科学的に考えることの面白さを感じてくれたようでした。この転換は、社会に出て自己鍛錬の大切さを学んだからできたのだと言います。「自分の高校生の継子も含めて、現在の楽しみに没頭している若者が多いけれど、自分を磨かなければ、行き着けるところは限られています。昔から人生の先輩はそう言い続けているのに、若者は を貸さない。自分も同じでした。その自覚があったならば、今いる場所はもっと違っていたと思いますよ。」アレックスが自嘲を込めて言ったことは、若者への痛烈なメッセージでした。


写真3:サリーの4人の子どもたち *クリックすると大きくなります。さらにマウスをおしながら自由に動かせます。

サリー(仮名)は4人の子どもを持つお母さんです。「息子が夜通し吐き続けて具合が悪いので、今日の試験に行くことができないのですが、後から受けさせてもらえないでしょうか」というメールをもらってから、少し話をするようになりました。17歳で初めての子どもを産み、そのすぐ後から大学に通い始めたこと。人生の大きな波 に揺さぶられながらも、10年間、ずっと勉強をやめずに来たこと。後1年で、会計学の学士号を取得できること。卒業後は法科大学院に行きたいこと、などを語ってくれました。「法科大学院は、経済的な問題もあるから、ちょっと待たなければならないかもしれません。でも、自分の目 標は絶対に果たすと思います。だって、家族が支えてくれているんですもの。」と話すサリーに、気負いは見られません。自分のできることを、できる範囲でやろうと しています。私はそこに、彼女がこの10年間に乗り越えてきたものの大きさを見たように思いました。


写真4:学期始まりのにぎわいも記憶に新しいキャンパスの晩秋の景色 *クリックすると大きくなります。さらにマウスをおしながら自由に動かせます。

たぶん、学生の多様さは日本の比ではないでしょう。勉強しようと志した者に、アメリカの大学は比較的楽に道を提供してくれます。高い学力 を身につけた労働力 を養成するという社会的な意味があるからでしょう。また、年齢よりも実力 を評価してくれることが、社会人学生の励みになり、自己研鑽への道を進ませる素地になっていることを強く感じました。逆の見方をすれば、その許容範囲の広さは、年齢という枠に縛られている日本よりも、多くの若者を惑わす結果になっているのかもしれません。人生の中で、過ぎ去った時間は戻りません。しかし、アレックスやサリーが果たそうとしているように、自分の目 標を設定し、ポジティブな方向に踏み出すことはいつでも、だれでも可能なのです。私はそのような多様な学生を応援するべく、「暗記したのでは残りません。惑星 に関するさまざまな事実はどうやってわかったのか、自分の頭の中でつなげて最終試験に臨んでください」と天文学の講義を終えました。人間の作った宇宙 探査 機が、水星火星土星 の周りを飛び、 があるかどうかを試す実験さえ行われている時代です。これからの人生で、彼らが地球の日常生活から を転じ、宇宙 の大きな広がりを頭に描くことがたびたびあってくれたらいいなあと思います。

ライト州立大学ホームページ:http://www.wright.edu/

土佐 幸子(とさ・さちこ)
米国ロチェスター大学大学院修了、物理学博士。マサチューセッツ州立大学ローエル校教育学大学院修了、教育学博士。科学を通して「考える喜び」を伝えようと、1995年より米国ボストン科学博物館で子どものための科学教室を教える。日本の科学館、教育機関が実施するワークショップでも講師として活躍。現在、ライト州立大学助教授。理学部物理学科と教育学部教員養成科のジョイントアポイントメント。著書に『ライト兄弟はなぜ飛べたのか』(さ・え・ら書房)、訳書に『クォーク の魔法使い』(ロバート・ギルモア著、培風館)などがある。